Zaha Hadid・ザハ ハディッドを称えて

ザハ ハディッド(Zaha Hadid)を称えてGoogleロゴが変わりましたが、この人物ご存知でしょうか?

実は女性として初めて2004年にプリツカー賞を受賞した人物なのです。

本日はそんなザハ ハディッドの生い立ちや死去の原因、そして日本に残した作品についてご紹介したいと思います。

 
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ザハ ハディッドの生い立ちを紹介

ザハ ハディッドは1950年、イラクのバグダッドで生まれ、父親はイラクの首都であるバグダッドで政党の指導者だったそうですので相当影響力のある人物だったんです。

そして、スイス、英国、レバノンで勉強し、ベイルートのアメリカン大学で数学を専攻しています。

1972年にはロンドンの建築協会学校で建築の勉強をし、1977年に学位を受けた以降、師匠でもあるレム・コールハスとエリア・ジェンゲルのリスとともにメトロポリタン建築事務所(OMA)で実務を学びました。

1980年にはロンドンに自分の事務所を開き、アイルランド首相官邸、パリビルレトゥ公園、香港ピーク団地公募展を通じて国際的にも有名になりました。

また、ロンドン建築協会学校をはじめ、ハーバード、デザイン大学院やシカゴのイリノイ大学、コロンビア大学、イェール大学、ウィーン応用芸術大学などで学生を教えていました。

しかし、1920年代のロシアの建築士の影響を受け、独特なデザインの建築理論家として影響力があったのですが、残念ながら「建物のない建築士」と言われていました。

その後、ドイツ・モバイルにある家具工場ヴィトラの会長が工場施設の中の消防署建物をザハ ハディッドに注文し、ようやく図面を描ける機会を得るようになります。

その作品はは鋭い角と空に急騰する破風を持った未来主義建築物として大きな注目を集めました。

その後、ロンドンを主な舞台に活動し、全世界を対象に自分のビジョンを挑発的な建物で表現しました。

2004年には建築の代表的な賞であるプリツカーアーキテクチャプライズ(Pritzker Architecture Prize)の初の女性受賞者になりました。

また、2007年には韓国の東大門デザインプラザに当選され、設計を担当した経歴をもっています。

 
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ザハ ハディッドの死去について

2020年東京オリンピックのメーン会場となる新国立競技場の当初案をデザインしたイギリスの女性建築家、ザハ・ハディド氏が3月31日、アメリカ・フロリダ州マイアミで心臓発作のため死去した。65歳だった。気管支炎の治療のため入院していた。イギリスBBCなどが伝えた。

引用:http://www.huffingtonpost.jp

ザハ ハディッドの死因は心臓発作で亡くなったと言われています。

もともと気管支炎ががあってマイアミの病院で治療を受けていたザハ ハディッドでしたが突然の心臓麻痺が原因で65歳の天才建築士が世を去りました。

ザハ ハディッドが日本に残した建造物とは?

ザハ ハディッドが日本に残した建物にはどんなものがあるのでしょうか?

まずはザハ ハディッドが手がけたニール・バレット青山店の内装がこちら。

 

 

2020年の東京オリンピック国立競技場のデザイン案も国際コンペで選ばれていました。

続いてはザハ ハディッドが世界に残した作品の画像をまとめてみましたのでご覧ください。

ザハ ハディッドが世界に残した素晴らしい作品

国立21世紀美術館
オーストラリアのノルドパーク・ケーブル駅
北京・銀河SOHO
ウイーン経済大学 (WU) 新キャンパス
香港理工大学ジョッキー・クラブ・イノベーション・タワー
リバーサイド博物館
BMWライプツィヒ工場セントラルビルディング
インスブルックのベルクイーゼルシャンツェのスキージャンプ台
ヴィトラ社工場・消防ステーション
マギーがん福祉センター(英国初の永久構造物作品)

 
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