ファン・マヌエル・ファンジオの経歴や生い立ちはF1の伝説だった!

      2016/07/04

ファン・マヌエル・ファンジオさんは

F1で活躍した最も成功したドライバーであり、

伝説とも言われています。

本日は彼の生誕105周年ということで

Doodleがロゴマークを斬新なデザインで作り上げました。

F1の伝説と呼ばれていた

ファン・マヌエル・ファンジオさん、

一体どんな方なのか経歴や生い立ちなど

その伝説に迫ります。
 

 
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ファン・マヌエル・ファンジオの経歴

ファン・マヌエル・ファンジオの経歴や生い立ちはF1の伝説だった!

フルネーム ファン・マヌエル・ファンジオ・デラモ
国籍:アルゼンチンの旗 アルゼンチン
出身地:同・ブエノスアイレス
生年月日:1911年6月24日
死没地:アルゼンチン
同・ブエノスアイレス
没年月日:1995年7月17日(満84歳没)
F1での経歴
活動時期:1950-1951,1953-1958
所属チーム
'50-'51 アルファロメオ
'53,'54,'57-'58 マセラティ
'54,'55 メルセデス
'56 フェラーリ
出走回数:52 (51スタート)
タイトル:5 (1951,1954,1955,1956,1957)
優勝回数:24
表彰台(3位以内)回数:35
通算獲得ポイント:245 (277 9⁄14)
ポールポジション:29
ファステストラップ:23
初勝利:1950年モナコGP
最終勝利:1957年ドイツGP
最終戦 1958年フランスGP
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/

ファン・マヌエル・ファンジオさんが

初めて車の仕事に出会い、

レースに参戦したのはなんと11歳の時でした。

 

当時は主に長距離のレースで活躍し、

1940~41年にはアルゼンチンの国内選手権を制覇

まだ29歳の若さにも関わらず、

その後もヨーロッパのレースにまで進出します。

 

1950年にF1の世界選手権がスタートし、

ファン・マヌエル・ファンジオさんは

当時、自動車レース界の強豪だった

高性能車メーカーである

アルファロメオから参戦します。

だが、残念なことにここでは

仲間に優勝を譲ります。

 

しかし、翌年にはフェラーリの勢いをかわして

1951年に初のワールドチャンピオンに輝きます。

 

だが、1952年にはレース中に事故ってしまい、

1年間欠場。

頸部を骨折し、心臓も停止したこともあり、

世間は再起不能と見ていました。

 

事故後1953年にはあの

イタリアン ラグジュアリーの真髄である

マセラティから復帰し、

最終戦のイタリアグランプリで2年連勝だった

フェラーリを撃破

カッコよすぎる復活戦となりました。

 

 
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1954年はファン・マヌエル・ファンジオさんは

移籍後、あのメルセデスベンツから参戦するが、

これがとんでもないくらい

グランプリ界を圧倒し、たったの2シーズン12レース中、

ファン・マヌエル・ファンジオさんが8勝を

挙げてしまうのです。

そして2年連続のワールドチャンピオンに輝きます。

 

その後、ベンツが撤退すると1956年にフェラーリに移籍。

またチャンピオンの座を獲得するが、

フェラーリの創始者であるエンツォ・フェラーリと

不仲だったため1年でチームを脱退します。

 

1957年にまたマセラティに復帰するが、

この年がファン・マヌエル・ファンジオさんの

伝説とも呼ばれる年となります。

ドイツのグランプリでリタイア1回したこと以外は

すべて優勝か2位でフィニッシュしたと言います。

 

そして、1958年には2戦のみ出場し、

47歳でF1を引退します。

実はドリフトの先駆者である!

ファン・マヌエル・ファンジオさんは当時のF1でも彼の運転テクニックは

多くのドライバーとはかけ離れた

ドライビングテクニックを駆使し、

四輪ドリフトの先駆者となっています。

 

コーナーへ進入するとんでもない猛スピード

タイヤからは煙が上がり

完璧とも言われる横滑り

見る人を虜にさせてしまったのです。

生い立ちはF1の伝説だった!

伝説と呼ばれたアルゼンチン出身のファン・マヌエル・ファンジオさん。

彼の生い立ちをまとめてみると

F1で5回のワールド・チャンピオン

引退するまで51回のレースに出走

通算24勝(勝率4割7分)

ほぼ半分を優勝。

引退後は実業家としても活躍し、

メルセデス・ベンツ・アルゼンチンの名誉会長にも歴任。

ファン・マヌエル・ファンジオさんの遺体が掘り返された?

こんな事件もありましたのでご紹介します。

ファンジオ氏は1995年7月17日に亡くなった。生涯独身を貫いた彼に正式な相続人はいない。しかし、彼の長年のパートナーであったアンドレア・ベルエトの息子、オスカー・エスピノザがファンジオ氏の実の息子であると主張し、現在裁判を起こしている。そして裁判所が、死後認知請求の手続きとして実父かどうかを確認するため、ファンジオ氏のDNA検査を行うように命じたのだ。故郷アルゼンチンのバルカルセに眠るチャンピオンの遺体は8月7日に掘り返されることとなる。
引用:http://jp.autoblog.com/2015/07/17/juan-manuel-fangio-body-exhumed-report/

最も成功したF1ドライバー、

5回のワールドチャンピオンに輝いてましたが

彼の記録は後にミハエル・シューマッハに

抜かれていまいます。

それでも未だに2位を守り続けていますから

ファン・マヌエル・ファンジオさんは一見ただの

おじいさんに見えるかもしれませんが、

本当はとんでもない人物だったんですね。

 
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